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92歳半母の旅立ち

3月は17日に中嶋学長の大学葬が大変温かい雰囲気の中
、盛大に執り行われました。

そうしたら同じ3月にもう1人見送る羽目となりました。
私の母が3月29日(金)に安らかに旅立ちました。
大正、昭和、平成と激動の日本史を
生き抜き、広島では原爆にもあい、次女は生後40日で被爆、
44日生き延びて、9月に生後84日で逝ってしまいました。
母の腕の中に抱かれたまま息絶えたそうです。

九大医学部小児科には今でも解剖記録の書類がきちんと残されています。
母は解剖に反対だったのですが、祖父と父が、
この世に生まれてきても一度もお国のためにこの子は役立たずに死んでいった。
初めての放射能の原因で死んだのだから、今後の医学のために、
お国のために、役立てよう。と説得したそうです。
お国のためという言葉が終戦後も生きていたとは!

長女は日本陸軍に殺され、次女はアメリカ空軍に殺されて、
子供を不幸にも2人、失った母は、戦後、最後のチャンスとして
もう一回子供を欲しいと思ったそうです。

両親が原爆に遭っている2人からどう言う子が生まれるか?
という、無責任なドクター達の期待を裏切って
五体満足、手にも足にも指が5本ずつ目も耳も二つしかない!
(水頭症や目が3つとかの奇形が体内被曝では生まれていたので)
奇形を期待したようでしたが、残念でした!それが、三女私です!

その前に3歳の長女を中国南京虐殺事件を起こした、
日本陸軍の生物兵器実験で、311部隊により、
威力を実験のために貯水池に撒かれた赤痢菌によって、
数日間で地域の老人、赤ちゃんと幼児は死に絶え、
成人はもの凄い腹痛と下痢症状を何日も続いても
抵抗力のある人はそれで済んだそうですが、
犠牲になッたのは老人と子供。

この事実は当時は勿論伏せられていて、
戦後60年経って、メディアに暴かれても、
政府はその当時のことは不明だと、
犠牲者遺族に謝罪はありませんでした。
日本は、そういう国なんですね!?
だれも、責任は、当事者は今、居ません。
退職しました!で通すんですね!

両親の無念さは、計り知れないです。
自分も親になり、祖母になったら、
赤ちゃんが死ぬと言う事がどれほど親に
ダメージを与えるか?
若い時には考えてもみませんでした。

今日5月1日で母の告別式から1月が経ちました。
本当に桜が満開の日に桜を背中に背負って天国へ昇っていきました。
75年間のクリスチャンとしての信仰の道も彼女にはありました。
実家のグランドピアノは教会の礼拝堂に寄付することが決まって居ます。
象牙の鍵盤が許された最期の年のヤマハのC3です。
母が一番好きだった場所。
教会の礼拝堂にもうすぐ引っ越すピアノです、

7月7日〈日曜日)午後2時開演予定で、母の記念会と
45分のコンサートを致します。伴奏は芸大付属高校からの
親友であり、母も可愛がっていた、現在武蔵野音大で
後進の指導をしている、富山紀美子さんが
駆けつけて下さいます。
あうんの呼吸で長年一緒に演奏をしてきたので、
私は大船に乗った気分で弾けると思います。
プログラムは未だきめていませんが、、、
広島に、いらっしゃれるのは無理でしょうが、
万が一、ご来場頂けるならと思いまして、
住所を書いておきます。勿論入場無料です。
七夕の日の午後、母を一寸思って下さったら
幸いです。きっと皆様の温かい心は彼女に通じるでしょう。

 日本バプテスト連盟 広島キリスト教会
  〒730-0841  広島市舟入町12−7
    電話:082-293-8683
by violinland | 2013-05-01 03:17 | ケイコ先生より
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